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自分の好きなところ けっこういいかげんなところ
自分の嫌いなところ かなりいいかげんなところ
卒業設計。それは魔物がすむところ。でも、大学生活最大にして極上の「お祭」!
楽しむ事を地で行って、それでよかったと思えるといいな。
悔いが残らなかったと言ったらうそになるけど、結構好きな事ができたと思う「卒業設計」でした。
なぜ、タイトルがこれなのか?なぜか誰にも聞かれないんですよね。
まあ、いいか。 |
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敷地は、筑波研究学園都市の南部。ペデストリアンデッキの計画と、研究施設の街区が重なってできてしまった、900mもの、いっさい抜けのないペデ。
その一部を、「地形操作と建築」を補い、新たな「場」を作り上げていく。
「人工都市」つくばにコミュニティ醸成の場を作り出す。
社会とは何か?それはヒトそのものの集合体とその営みである。
営み喚起する場所。
営みの局部的な集合がコミュニティではないだろうか?
だとするなら、コミュニティは空間が規定するものではない。
コミュニティとは、個々の自発的な必要性や欲求から形成され、育ち、定着するものである。
「遊び」は内的な必要性や欲求から生まれる、きわめて人間らしい行為である。
僕は、大人と子供に遊び場を提供する。
大人はルールの中で生きている。
ルール化されたものの中で遊びを始める。
それは、「学び」と名前を変え、その行為を正当化する。
子供はルールを知らないゆえに行為の中でルールをつくり、知る。
そのきわめてクリエイティブな行為は、人を育てる。
人を育てる行為は、社会を育てることになる。
繰り返しになるが、社会とは、ヒトの集合体だからである。
そして、社会的な集合こそがコミュニティの種。
子供の遊び場と、大人の学び場。
それは、コミュニティの種をまく場所。

地形操作をし、フィクショナルな場として、緑の丘を作り出す。
単調なまっすぐな道に、公園としての回遊性を与えるとともに150mも公園を切り取る。
丘は、活動の場となり建築は活動のきっかけを与える。


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